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広岡浅子「あさが来た」のヒロインのモデルになった人 [明るい番組と未来]

「あさが来た」のヒロインのモデルになった人とは、
11月4日の放送では視聴率24.1パーセントと
今、最も人気のNHKの朝の連続ドラマ
「あさが来た」のヒロイン「今井あさ」は実在した人物で、
広岡 浅子という明治維新のころに活躍した女性実業家の話です。
銀行、保険会社、女子大学の設立など多くの実績を残した方です。
広岡浅子
asako-young2.jpg
http://www.xn--gdk4ct16t.com/archives/265
原作は「小説 土佐堀川」古川知映子著(潮出版社)
原作者は古川知映子さん(現在81歳埼玉県在住)で元になった小説は
「小説 土佐堀川」というタイトルの小説です。

モデルになった人は
広岡 浅子(ひろおか あさこ)
1849年10月18日(嘉永2年9月3日)生まれ
~1919年1月14日

生まれは
広岡浅子は1849年に豪商・三井高益(たかます)の四女として京都市内で生まれました。
三井家といえば、後に三井グループにつながる名家です。

17歳で結婚
17歳で大阪の豪商、第8代加島屋久右衛門正饒(まさあつ)の次男・広岡信五郎と結婚。
結婚後、商家の風習に疑問と限界を感じ、自ら簿記、算術を独学で勉強し、
夫信吾郎、夫の弟久右衛門正秋とともに、
傾いた加島屋を救うために実業界へ身を投じ、立て直しに奔走することになる。

30代半ばには炭鉱事業に参画
1884年(明治17年)ごろ筑豊の潤野炭鉱(福岡県飯塚市、後の製鐵所二瀬炭鉱)を買収。

30代後半には銀行を、
1888年(明治21年)に加島銀行を設立。

40台前半には
1902年(明治35年)に大同生命創業に参画。
加島屋は近代的な金融企業として、大阪の有力な財閥となります。
これらの活躍によって、明治時代の代表的な女性実業家として歴史に名前を刻みます。

52歳頃日本初の女子大学を
1901(明治34年)日本女子大学校(現在の日本女子大)を設立に導く

家族、子孫は
父  三井高益:1799年~1858年 小石川三井家6代当主。

義兄 三井高喜:1823年~1894年 小石川三井家7代当主。

義姉 春:1847年~1872年 浅子より2歳上の異母姉。25歳で他界。高喜の養女として三井家に入家。ドラマでは「はつ」

夫 広岡信五郎 :1841年~1904年 第8代広岡久右衛門正饒の次男。ドラマでは白岡新次郎

長女 広岡亀子: 1876年~1973年 浅子の一人娘。明治9年10月生まれ

義弟 第9第広岡久右衛門正秋:1884年~1909年  夫の弟。加島銀行初代頭取、大同生命初代社長。










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